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1966.8村田巡査事件


◇ 1966.8 殉職 村田巡査事件 ◇



◆ 村田巡査の「殉職の碑」 ◆



「村田巡査事件」
  昭和41年(1966)8月30日、哲学の道で夜間パトロール中の鹿ヶ谷派出所 村田睦穂巡査(25歳)が
拳銃を奪われ射殺されるという事件。

 三千人の警官動員、村田巡査は疏水の中で死亡しており、
けん銃そのものはつり紐に繋ったまま弾丸4発とともに発見されている。
事件は、犯人が捕まらないままに時効を迎えた。

事件現場、警官の被弾状況等から自殺の可能性も否定出来ないままの捜査となった。
 
 何度となく、けん銃使用方法等についての検証、実験が行われた。
その結果、警察内部では自殺の可能性も否定できない事となり捜査員も捜査に熱が入らない状態となった。

 京都府警は事件発生2ヶ月後の一九六六年十月二十一日に様々な過程を踏んで「殉職」と認定した。、
その後も、捜査本部は存続したが、時効待ちの捜査となり、時効を迎えた。

 京都市左京区若王子の「哲学の道」に村田巡査の「殉職の碑」が立っている、
いまは「村田巡査事件」を語る人はほとんどいない。

▼14'11.21「安らかに」と お参り・紅葉狩りのおり▼
 石碑には「故巡査部長村田睦穂殉職之地」と刻まれている。
事件そのものは、犯人が捕まらないままに時効を迎え、その真実は闇に閉ざされたままで、
半世紀の時が過ぎようとしている。

 石碑に至る橋は柵が設置され、中には入れない、柵には「イノシシ出没」の注意書が。
真新しいサカキ?が石碑に添えてあり、柵の施錠を開けてお参りする人がいると思われる。


現場は事件発生時と状況は変化なし



▼2016年5月29日「安らかに」と お参り・久しぶりの哲学の道 散策のおり▼
前回にお参りした際と変わりない状況でした。




水面までの石垣の高さは2㍍以上






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