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1979.5 京都長岡ワラビ採り殺人事件


◇ 1979.5 京都長岡ワラビ採り殺人事件 ◇







1979年5月23日に京都府長岡京市で発生した殺人事件。

◆ 事件の概要 ◆
1979年5月23日、長岡京市内にあるスーパーでパートをしていた主婦2人が、仕事終了後、近くの山の竹林にワラビ採りに行ったまま消息不明となり、2日後の25日、山頂付近で遺体となって発見された。






◆ 被害者、被害箇所及び被害状況等 ◆
23日から不明に殺されていたのは、同市長岡 水野恵子さん(32)と、同市金ケ原平井 明石英子さん(43)。
直接の死因は明石英子さん(当時43歳)が絞殺、水野恵子さん当時32歳)が刺殺。
2人のリュックには、それぞれ空の弁当箱、採ったワラビ、財布が入ったままであった。
検死の結果、死亡時刻はどちらも正午過ぎから2時半までと判明。





◆“ オワレている たすけて下さい この男の人わるい人 ” のメモ

どちらも金を奪われた形跡はなかったが、明石英子さんの衣服のポケットから

“ オワレている たすけて下さい この男の人わるい人 ”

と鉛筆で走り書きをした、勤務先のスーパーのレシート(日付は事件当日より2日前)が発見される。
だが、どちらの荷物にも衣服のポケットにも、この鉛筆がなかった。
後日の捜索で、殺害現場から少し離れたところで芯の先端だけが見つかっているが、鉛筆そのものは見つからなかった。

明石英子さんは全身30箇所以上も殴打され、肋骨が折れて、肝臓が破裂しており、体内からは犯人のものと思われる体液が検出された。

水野恵子さんは全身50箇所以上も殴打され、包丁が体に突き刺さったままだった。

なお鑑定結果によると、犯人の血液型はO型と判明している。






▼犯行現場は、殺された主婦たちのように、ピクニックがてら山菜採りに地元の人が訪れているようなところだったが、犯行発生前から木や竹が生い茂り、昼間でも薄暗いところが多く、レイプ事件も発生していた。

▼遺留品は水野恵子さんの遺体に突き刺さっていた包丁1本のみで指紋は検出されず、販売ルートも解明されずじまいだった。
そして、有力な手がかりも得られないまま、1994年5月24日に公訴時効が成立した。





◆ 容疑者
長岡京市内に住む少年Aが、犯行時間内に駆け足で下山するところを目撃されており重要参考人となるも、実は犯行当日は一日中、別の場所にいたことが判明した。
彼が空手を習っていて、よく山にサイクリングにきていることを周知している人物からの目撃情報だった。





主婦らが山に入った10分後、25歳から30歳の男性二人組が目撃されていたが、身元判明できず。
主婦たちが殺害される1週間前に、入山していた主婦に声をかけた中年男性がおり、似顔絵を製作したが身元判明できず。

 




         
   ・・・・・・新聞記事・以下は当時掲載された新聞の一部内容である。・・・・・・


▼京都長岡ワラビ採り殺人事件
 
昭和54年5月23日午前10時頃、主婦でパートタイマーの石田秀子さん(仮名/当時43歳)と野口啓子さん(仮名/当時32歳)は、長岡天神駅前のスーパー「イズミヤ」の仕事を終え、自転車でワラビ採りにでかけた。

スーパーから数キロ離れたところにある河陽が丘の裏山、通称゛野山゛は、山菜やタケノコ狩りでよく知られた場所で地元では家族連れがお弁当を持って散策をするような場所であった。だが、奥に入るとさすがに寂しい場所で、過去には強姦などの事件も発生していた。

その後、野山に入った2人は忽然と消息を絶ってしまった。夜になっても帰宅しないため、心配した石田さんらの家族は警察に通報。警察は、直ちに2人の行方を捜索したが、25日の午前10時30分頃、山頂付近で2人の遺体を発見した。

石田さんは、首を両手で絞められたことによる窒息死。野口さんは、左胸に包丁が突き刺さったままで失血死。その致命傷以外に、2人の遺体には手拳や足蹴りによる全身30から50ヶ所の皮下出血が認められ、肋骨が数本も折れて肝臓も破裂していた。

現金、貴金属類などの所持品は奪われていなかったが、衣類の乱れや体液が検出されたことから性的暴行も認められた。また、石田さんのジーパンのポケットから、「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と鉛筆で走り書きをしたスーパーのレシートが見つかった。

-犯行の残忍さ-
2人の遺体の状況からみて、手拳や足で殴る蹴るの執拗な暴行を加えたのは疑いのないところ。まったく罪の無い女性にここまで出来るのか?現金など所持品を奪っていないところをみると物盗りの線は無い。警察は、犯人は性的暴行が目的でありサディステックな性癖を持った者の犯行と推定した。

そこで、犯行当日に山に入っていた人や付近の目撃情報など片っ端しから聞き込み捜査を開始した。特に、遺体の状態から空手を習得している者で非行・犯行歴がある者を重点に捜査した。すると、市内在住の少年Aが空手を習っており、この野山にもよく出入りしていたという情報を得て事情聴取した。だが少年には犯行当日の完全なアリバイがあってシロと断定された。その他、様々な情報が寄せられたもののどれも決め手にはならなかった。

平成6年5月24日、延べ2万5000人を投入した京都府警の捜査も空しく時効を迎えた。真犯人は永久に闇の中に葬られてしまった。


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○中日新聞1979年05月25日(金)

ワラビ採りの主婦2人殺さる 首絞め胸刺され京都 犯人は不良グループ?

【京都】京都府長岡京市で二十三日昼から山にワラビ採りに出た主婦二人が行方不明になり、捜索が行われていたが、二十五日朝、二人とも山中で刃物で殺されていた。京都府警は殺人事件とみて捜査を始めた。

23日から不明に殺されていたのは、同市長岡 水野恵子さん(32)と、同市金ケ原平井 明石英子さん(43)。

二人は長岡京市のスーパーにパートで勤めているが、二十三日午前十一時ごろ、早番の勤務を終えた後、自転車に乗って同市奥海印寺の通称西山梅林(標高二百メートル)にワラビ採りに出かけた。

二十四日になっても帰宅しないため、家人が向日町署に届け出,署員五十人と消防団員五十人や警察犬も使って山狩り捜索を続けた。その結果,二十五日午前十時半、家から三キロ離れた同市光明寺の裏山で二人の死体を発見した。

京都府警捜査一課で調べたところ、水野さんの左胸に包丁が刺さっており、二人とも着衣が乱れていた。このため同課は、二人は刃物で誰かに殺されたと断定、向日町署に捜査本部を設置した。

二人が殺されていた場所は標高二〇〇メートルの雑木林内で、水野さんは頭を斜面の上に向け下半身は着衣が脱がされており、明石さんは水野さんから十メートル離れたところで倒れ,首をヒモで絞められ、胸に数カ所の刺し傷もあり、下半身の着衣が乱れていた。

捜査本部は、二人が複数の男に襲われ乱暴された後、首を絞められ、刃物で刺されたとみている。

二人が乗って出た自転車は二十四日午後,西山梅林入り口の畑で、二台とも放置されていた。

昨年十一月には、二人が殺害された現場から南西十キロの宇治市内の田園地帯で、夜間マラソン中の主婦が失踪したまま。ちょうど半年たったいまも何の手がかりもなく、同捜査本部はこの失踪事件と何らかの関連がある可能性もあるとみて調べている。

また、これまでの調べで最近現場付近の山林内の道路を暴走族がたびたび走り回っており、同本部は暴走族の不良グループに襲われた可能性もあるとみている。

警察は事件後当初単独犯か複数犯かの犯行か決めかねていたが、死亡した一人が持っていたメモにより単独犯による犯行で有ると断定する。





○中日新聞1979年05月28日(月)夕刊

犯人は一人と断定被害者の主婦 「助けて」と走り書き ワラビ採り殺人

【京都】京都府長岡京市の山中でワラビ採りにきていた近くの主婦、明石英子さん(43)。水野恵子さん(32)の二人が殺害された事件で、京都府警の向日町署捜査本部は二十八日、明石さんの痛いのジーパンのポケットから

「オワレている たすけてくださいこの男の人はわるい人です」

とスーパーのレシートに走り書きしたメモ(週刊新潮の記事より)を発見した。

このメモはあお向けになって殺害されていた明石さんの薄青色ジーパンの右ポケットにくしゃくしゃに丸めて残っていた。パート先の「いづみや長岡店」のレシート(幅四・五センチ、長さ九・五センチ、二十一日の日付)の裏にエンピツで書かれており、筆跡鑑定の結果、明石さんの文字とわかった。

タテ書きで三行にわたっていたが、ひらがな、片かな、漢字が混じり、字は乱れていた。また、「たすけて」の「す」の字は「く」の上に二重書きしたうえ、さらに「す」と書き加えている。

こうしたことから、捜査本部では明石さんはレシートを手のひらに隠すようにしながら、急いで書いたものとみている。

また、メモの内容などから、明石さんは犯人が水野さんに包丁を突きつけながら乱暴している間に走り書き、一旦ポケットにしまい込み、助けを求めるためどこかへ捨てる機会をうかがっていて襲われ、殺されたとみている。

捜査本部では、二人の主婦が同一現場でほぼ同時に殺害されている--との状況から、犯人は単独犯なのか複数犯なのか決めかねていたが、明石さんが助けを求める"メモ"を書く時間とスキがあったことから、犯人は一人で、まず水野さんに包丁を突きつけ,明石さんに

「逃げたら、こいつ(水野さん)を殺すぞ」

と脅しながら、水野さんに乱暴して殺害。この後恐怖のあまり現場に座りこんでいた明石さんにもロッ骨を九本も折るなどの暴行を加えたうえ、首を絞めて殺したと断定した。


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しかしその後捜査は難航する。遺留品が先のレシートと犯行に使用された包丁(岐阜県関市で作られた約7万本の中の1本とみられているが、販売ルートは不明)のみだったのも大きな要因と言える。その後大きな進展を迎えぬまま数年の歳月を経る。

しかし、この事件はここで終わらない。実は以上2名の他にあと一人、共にワラビ採りに来ていた主婦が居る。途中所用により先に帰宅し事なきを得たが、5年後不可解な事件にて命を絶たれる。

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事件の概要
1979年5月23日、長岡天神駅前のスーパー「イズミヤ」のパート仲間で、長岡京市に住んでいた水野さん(当時32歳)と明石さん(当時43歳)はスーパーの仕事を終え、そのまま自転車で午前10時、同市奥海印寺の通称「野山」(美竹台住宅地の裏山河陽が丘内の竹林)にワラビ採りに出掛けた。野山は近所の人が山菜やタケノコ狩りをピクニックがてら家族で楽しむような場所だった。しかし何度もワラビ採り出かけていたはずの明石さん、3時半には子供を保育所に迎えに行く予定だった水野さんはそのまま消息をたった。

家族の通報を受けた向日町署が捜索したところ、25日午前10時半ごろ、山頂近くで2人の遺体を発見した。水野さんは左胸を包丁で刺され、明石さんは首を絞められて死んでいた。現金や腕時計など2人の所持品は奪われていなかった。持ち歩いていたリュックの中には、所持金、空の弁当、ワラビの束がそのまま入っていたことと、検死の結果から二人は昼食の弁当を食べた正午過ぎから午後2時半の間と考えられた。

走り書きのメモ
明石さんのはいていたジーパンの右ポケットから、「オワレている たすけて下さい この男の人わるい人」と裏に鉛筆で走り書きされた、勤め先のスーパー「イズミヤ」のしわくちゃのレシートが見つかった。警察の捜索は徹底していて現場の山道の表層土砂を全部ふるいにかけて、メモを書いたのに使用されたと思われる鉛筆の芯(先の部分)を遺体から約17メートル離れた土砂の中から発見しているが鉛筆自体は見つかっていない。
果たして追われているときに書いたものなのだろうか?

アキレス腱を切断された遺体と犯人像
主婦2人の遺体にはそれぞれ数十カ所殴られた跡があり、犯人は空手などの武術の心得がある者との見方がある。警察庁科学警察研究所の鑑定の結果、犯人の血液型はO型と判明している。
だが、白昼に主婦2人を一度に襲い、多数の殴打の跡があることなどから複数犯の可能性もあるが、二人の遺体のアキレス腱は切断されており、逃亡できない状況を作っていることから単独犯との見方もある。

明石さん・・・(43歳)全身約30箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。左右計9本の肋骨が折れ、肝臓が破裂していた。シャツに乱れはあったものの、きちんとジーパンをはいていた、が、体液が検出された。首を両手で絞められたことによる窒息死。

水野さん・・・(32歳)は約50箇所の皮下出血、手拳や蹴り上げられたような跡があった。0型の血液型と特定された体毛が付着していた。胸を刺傷した事による失血死。胸には肋骨を切断して、心臓から肺にまで達する包丁が突き刺さったままだった。発見当時、下半身の下着が引き裂かれて、ジーパンや靴が遺体近くに散乱しており、性的暴行を受けた可能性も示唆していたが体液は検出されなかった。

目撃された怪しい人物
○長岡京市内に住む不良グループのKとM(建築手伝い)。殺害時間直後に野山から急ぎ足で下山してきたという目撃情報があり重要参考人となった。Kには空手の心得もありサイクリング車でたびたび野山への道を走っていた。

○主婦二人が野山を上っていった10分後に入山した25歳から30歳くらいの白いシャツ、ジーパンのようなズボンの二人連れ。身元判明せず。

○事件の前年同時期にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた、40~45歳くらい、身長170cmのねずみ色の作業着を着た男。長さ30cmくらいの包丁を持ち、奥さん、ワラビ採れますか」と声をかけた。

○事件の数年前から横行していたタケノコ泥棒。タケノコを掘り返すのではなく、地上に出た部分を包丁できりとり持ちかえるというもの。事件発生後1年間で被害がぷっつり消えた。

○現場付近に残されていた足跡の中で、登山靴やレジャーシューズのような溝のある靴跡ではなく、二つだけ革靴の可能性が高い溝も模様もない足跡があった。6日前にワラビ採りをしていた主婦に声をかけた挙動不審な中年男(似顔絵が作成され、一般公開された)。スポーツシャツで軽装。サラリーマンタイプの男。

もう一つの事件
事件から約5年後の1984年5月16日、同市で主婦Cが首や背中をメッタ刺しにされ、布団にくるまれ、家ごと燃やされるという残忍な事件が発生した。警察がこの事件と長岡京殺人事件の関連性を調べていたことが判明して、次のような噂が出現した。

主婦Cはかつて最初の事件当日、主婦AやBとワラビ採りに出かけたが、先に一人で下山したので殺害から免れた。マスコミと警察は報道協定を結んで、主婦Cの安全のため彼女の存在を公表しなかった。
後日、主婦Cは何らかのトラブルでワラビ採り殺人の真犯人に殺された。

ところが第二の殺人事件の警察記者会見では、最初の殺人事件と主婦Cとの関係はまったく言及されず、マスコミ関係の人物から報道協定についての証言は一切得られず都市伝説のレベルである。

組織的な犯行の可能性が高い。
犯人は複数犯で主婦三人に共通する何かとこの組織が関係しているのではないか?
5年もたって事件のほとぼりが冷めた頃、主婦Cさんを殺害して放火しているあたりこの主婦が事件の鍵となる証拠や秘密を持っていた可能性もある。
もちろん警察には話してないだろう。
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